徳島県三好市池田町白地763-2
tel.0883-74-1707
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- 本 尊
- 千手観世音菩薩
- 本尊の真言
- おん、ばざら、たらま、きりく
- 詠 歌
- はるばると、雲のほとりの、寺にきて、つきひをいまは、ふもとにぞみる
- 由 来
- 延暦八年(789)寺の建築用材を求めて雲辺寺山に登られた弘法大師は、山の趣に神韻を感じられ、この地こそ霊山なりとて山頂近くに堂宇を建立したのがはじまりだという。弘法大師十六歳の時、大同二年(807)嵯峨天皇の勅願により本尊、千手観世音菩薩を刻み、仏舎利と毘虜遮那法印を納め七堂伽藍を建て七仏を供養され四国霊場に定められた。鎌倉時代には十二坊、末寺八ケ寺を有し、阿波、伊予、讃岐の関所でもありました。天正時代(一五七三~一五九一)土佐の長曽我部元親が四国制覇の野望をもやし、まず当寺を攻め、本堂を残す他の堂塔を焼失したが四十八代住職、後宗坊に「お主の器量なら土佐一国で充分」と忠告されたと伝承されている。その後、蜂須賀公の勅願所として再興され、今日に至っている。雲辺寺は、海抜九百十一メートルの山頂にあり、四国の高野山とも呼ばれ阿波、伊予、讃岐に各坊を持つ学問道場であった。霧がかかり、雲につつまれたようになっているため雲辺寺と名づけられた。ロープウェイの完成でお参りも楽になりました。また、冬場はスキー場が開かれます。