香川県三豊市三野町大字大見乙70
tel.0877-63-0072
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- 本 尊
- 大日如来
- 本尊の真言
- おん、あびらうんけん、ばざら、だどばん
- 詠 歌
- わずかにも、まんだらおがむ人はただ、ふたたび、みたび、かえらざらまし
- 由 来
- 推古四年(五九六)弘法大師の先祖である佐伯一族の氏寺として創建され、当時は世坂寺と呼ばれていた。弘法大師が唐での留学を終えて帰朝後、本尊、大日如来をまつり、金剛界、胎蔵界の両界、曼茶羅を安置し、御母の玉依御前の菩提を祈るために唐の青竜寺に模し、大同二年(八〇七)より三ヵ年がかりで大造営を行い大師自ら曼茶羅寺と改称され四国霊場に定められた。又、この寺には、大師お手植えと伝えられる「不老松」(通称・笠松)は樹齢千年を越え、高さ四メートル、枝張十八メートル程の見事な円形の根上がり松である。「四国のかたへまかりける 同行の・・・」云々という同行のものを懐かしんで詠んだ平安末期の歌人として有名な西行法師がある時、同行して寺を訪れた人が桜の木に笠をかけ忘れて帰ったという「笠掛桜」と、しばしば訪れた法師が昼寝をしたといわれる「西行の昼寝石」や仮住居「水茎庵」のなどがある。